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山形県で総合診療医を目指しています。日々の振り返りをご笑覧ください。

生死の中で、深呼吸する

(この記事には医療現場の描写が出ますが、全てフィクションです)
 
「お父さん、どんな人だったんですか?」
霊柩車に男性が乗せられる中、奥さんに聞いてみた。
「優しい人」
だいたいの家族はこう言う。優しい人、真面目な人、いい人。
「でも、ちょっと面倒くさい人だった。先に逝っちゃうなんて……バカ」
その一言で、途端に涙腺が緩んでしまった。
 
ーーー
 
医療現場というのは、そもそも「生死」に近いところで仕事をする場所の一つだ。
濃淡はあるにせよ、保険医療を担う現場には必ず生死がまとわりつく。この薬を使わなければ死ぬかもしれない。より質の高い生を求めて治療を受ける。健康の延長線で僕らは生死と必ず向き合うことになる。今まで生死を考えたことのない人々はその出会いに戸惑い、狼狽え、それでも人生を懸命に歩んでいく。
僕らはそれを当たり前のように肌で感じながら生業としているわけだ。
 
医者になる前の頃。
僕はその「生死の空気」を吸うことに慣れていなかった。
実習先の大学病院では目の前で生死の話が飛び交うのが日常茶飯事だった。ある人は生を拾ってある人は死に至る。大学病院という場所は医療現場の中でも高度医療で闘うところだからそれはそうなんだけど、医者にまだ成っていない学生の僕には刺激が強かった。
生死を左右する事態の中で医者や看護師が当たり前に働くのを見て、「自分もああなるのか」「当たり前に慣れていいのか」と悩んだことをいまだに覚えている。
 
医者になって数年。
人間とはやはり慣れるもので、繰り返し書く死亡診断書や厳しい状況を伝える面談も当たり前になってくる。
生死に関わることに慣れていく自分に違和感を感じてもいた。
違和感や戸惑いを感じていた数年前の自分が、日に日に薄らいでいく感覚。
まるで自分の”人間”たる部分が、医療現場の空気を吸いながら”医者”に入れ替わっていくようだった。
 
これを書いている今、僕は医者になって10年経とうとしている。
生死の空気を吸うことにも慣れて、僕にとって死に近づいていく誰かのそばにいることは日常になった。
昔の戸惑いを思い出すことはあっても、そこに感情は伴わなくなった。迷いなく厳しい状況を伝えることはできるし、死亡診断で言葉を詰まらせることはない。
あの時抱いていた違和感はするりと胸から抜け落ちて、「そんなこともあったな」と思い出すレベルの記憶に変わってしまった。
 
人間から医者になってしまった自分。
生死の空気を当たり前に呼吸する自分。
医療現場で呼吸するごとに人間が薄められていって、気づいたら医者になってしまった。振り返るとそんな錯覚に陥る。
そこに正解も間違いもないんだろうけど、現場の忙しさは悩む暇を与えてくれない。
そんな僕が、人間に立ち戻ったと感じたのがあの瞬間だった。
 
ーーー
 
救急隊から電話が入った。CPAの搬送をしたい、という相談だった。僕は迷わず引き受けた。
CPAとは心肺機能停止の略称だ。院外で発生した場合、社会復帰にたどり着ける人は数%らしい(1)。
様々な病歴の数々、行われている医療行為、現在の心電図波形が電話越しに報告される。積み重なる情報が回復の見込みは限りなく低いことを暗に示していた。
 
到着後、その男性が戻ってくることはやはりなかった。蘇生行為に反応がない場合、線引きをするのは医者の仕事だ。
蘇生行為を止めるということは、生きるか死ぬか曖昧な状態に線を引くのに等しいと思う。
そういえば、はじめてその線を引いた日はいつだったろうか。戸惑いながら線を引き、引いた後にも迷っていた気がする。
その日の感情は思い起こされることなく、僕はまた曖昧な生死に線を引くことにした。
 
奥さんをお呼びして、最期の診察に立ち会ってもらう。男性は最後に一呼吸して、奥さんの目の前で息を止めた。
「まだ頑張って……お父さん、息して……」
僕はその声がけに男性がもう応えられないことを知っている。
だからと言って、その声を止めるようなことをしない。
死を宣言するその瞬間に求められているのは、正しさではなく納得であることを経験から学んだからだ。
 
奥さんが男性の死を飲み込んだのを感じて、僕は最期の診察をする。心音・呼吸音・瞳孔反射を確認して、その事実を淡々と告げる。
死亡時刻を告げて「ご臨終です」と言葉を締めた。
 
ーーー
 
看護師によるエンゼルケアが済んだ顔は、先ほどよりも血の気がいい顔になっていた。
着衣して化粧された死に顔は寝ているような横顔になっていた。
遅れて到着した親族が色々と手配する中で、男性は霊柩車に乗せられていった。
その姿を眺める奥さんの横に、たまたま僕は立っていた。それに気づいたのか、奥さんが小さな声で「色々とありがとうございました」と感謝を述べた。その言葉を受けて、ふと冒頭のように聞いてしまった。
 
「お父さん、どんな人だったんですか?」
「優しい人。でも、ちょっと面倒くさい人だった。先に逝っちゃうなんて……バカ」
その言葉の後、奥さんはそっと涙を拭った。
 
涙を拭ったのは彼女だけではない。その一言で、僕の目にも涙が浮かんでいた。
バカ、という言葉で涙ぐむなんて小学生以来かもしれない。
眼鏡の奥で涙が滲み、鼻水が垂れてくるのがわかった。
マスクが汚れないように堪えて、僕は霊柩車と奥さんに無言で頭を下げた。
 
ーーー
 
あの時の一言は男性と奥さんの人生を嗅ぎ取らせるのに十分な重みを持っていた。
長年一緒にいたからこそわかる良し悪し。
そこを踏まえてもっと生きていて欲しかったという悲しみ。
これからも続くと思っていたレールが突然変わってしまったショック。
その分岐点がこのCPAで、ポイントを引いたのは僕だ。
奥さんの一言は眠っていた人間を呼び起こし、感情は涙となって滲み出してしまった。
 
CPA対応も死亡診断も霊柩車の見送りも、もはや僕の日常の一部だ。僕は生死の中で呼吸して、医者に成って、医者として働いている。そしてこれからもこの仕事を続けていくつもりだ。
呼吸は当たり前すぎて、意識しないとその重要性や意味を見落としてしまいそうになる。
そこを見落とした瞬間に、僕は悪い意味で医者に成ってしまうのかもしれない。
 
医者であることを止めるつもりはないけど、人間でありたいと思うのは間違っているだろうか。
僕は自分が人間であることを見失わないように、医療現場で深呼吸することを忘れないでいようと思った。
誰かの生死に関わる仕事だからこそ、生死の空気をしっかり吸い込んで大きく吐き出す。これから先、医療現場で呼吸し続けるからこそ呼吸の大切さを意識することは間違いではないんじゃないだろうか。
 
生死に関わる日々を送りながら、噛み締めるように深く深く息を吸おう。
 
 
参考文献: