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山形県で総合診療医を目指しています。日々の振り返りをご笑覧ください。

加速し続ける時間で思うこと

ちょっと前に正月だと思ったら、あっという間にバレンタインが近づいております。
時は加速しているのだろうか。この調子だと気づいたら定年退職していそうな勢いです。
 
この「時間がない」問題は社会人になってから常々感じていることではありますが、年齢を経ることに深刻化しているような気がしています。24時間は平等なのにどうしてだろう。
最近自分の中でぼやぼや思うことは以下のあたりです。
 
・見える世界が広がって、マクロな世界の情報量の多さに流されている
子供の頃は自分の半径1メートルくらいが世界の全てでした。
今はどうか考えてみると、下手すると在宅でカバーしている半径16キロメートルくらいまでは余裕で認識しているような感じです。ニュースを見れば地球の裏側の情報も入ってくるし、ともかく大人になるにつれて情報量の多さに辟易とする時すらあります。
同じ時間を過ごしていても、その時間の中に溢れている情報量の多さが時を加速させているのではないでしょうか。
(そうなると山籠りして世界と断絶すれば、時間は一気に緩やかになるのかもしれない)
 
・捻挫しながら走り続ける必要性
仕事がどんどん舞い込んできて、「一息ついたらやろう」と思った仕事はあっという間に埃に塗れてしまう。この2年弱、組織開発に向き合っているとこの感覚で日々を過ごしています。
捻挫したからといって足を止めてゆっくり治している時間はなくて、ともかく走り続けながらなんとか捻挫を治していくしかない。こんな例えをどこかで読んで、大変腹落ちしたのを覚えています。
自分の24時間に膨大な業務量を詰め込んでいるとすれば、そりゃあ時間なんてどんどん足りなくなるわけです。
 
・人生をハンドリングし続けるほかない
タイムマネジメントも然り、マルチタスクも然り、仕事も情報量も降り注いでくるとすればともかくそれを乗りこなしていくしかありません。
そうなると、この加速する時間軸の中で「いかに自分らしく生きられるか?」というのが本当は問われているのではないでしょうか。
その答えのためには「自分のやりたいことは何か」「自分の人生は何のために浪費するのか」という、これまた根源的な問いに辿り着く。これは人生を自分の進みたい方向にハンドリングすることと一緒なわけで、例え不確実な事態や非常事態が起きて時間や仕事が管理できなくなっても大まかな人生の方向がきちんとハンドリングできていれば致命傷にはならないんじゃないかと思うわけです。
時間はこのまま加速し続けると思われるので、その中で押し流されてしまわないように懸命に自分の人生をハンドリングし続けていくことが求められている。もはやそんなところまで考えるようになりました。
 
ちなみに、今のところやりたい仕事をやってるし、半径1メートルには幸せが溢れているので、今のところ順調だと思います。
さあ、新年度に向けて助走の時期です。どんどん頑張ろう。