YAMAGATAxGP

山形県で総合診療医を目指しています。日々の振り返りをご笑覧ください。

看取りから学び続ける

※この話はフィクションです※

先日看取った方は、だいぶ前に自分が進行がんと診断した方でした。

元々気持ちが落ち込みやすいから告知はしないでほしい、体力も厳しいだろうから手術はしないでほしい。そんなご家族の思いを踏まえて、本人には伝えないまま様子を見ることになりました。
あれから数年の月日が流れました。
幾度の感染症を乗り越え認知症の悪化を物ともせず暮らされておりましたが、先月からガタッと心臓がやられてしまいそのまま旅立たれました。
「がんは何だったんですかね。やっぱりあの時手術しなくてよかったですね」と看取った時に家族に言われました。

「そうですね、よかったよかった」と受け取る方もいるでしょう。
しかし、何だかその日はいつもよりも色んな考えが頭をよぎります。

がんは今どうなっているのか、
ACPの進め方は間違ってなかったのか、
がんと心不全は本当に関係ないのか、などなど。

十分に良いケアが提供できたのかと考えると、認知症で大変だった時期とか心不全はもっとできることがなかったのかとか、これまた答えが見えなくなります。

いくら勉強してもわからないことは山ほど、できたことを探しても雲を掴むようです。
なんだか色んな考えと思いがごちゃ混ぜになって、浮かんでくるのは「看取らせていただきありがとうございました」という一文だけでした。

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何であんなに考え込んでしまったのか、暫く経ってもスッキリしないため試しに文章として起こしてみました。
客観的に見ると、自分が診断して自分が看取るという経験を数年かけて行ったのが初めてだったから思うところが色々あった、のかなぁというのが感想です。
そう表現してみても、何となくあの時感じた不全感が喉のあたりに引っかかっているような、そんな感覚がずっと続いています。

看取りというプロセスを踏まえて、人の死を告知すること。
ずいぶん回数をこなしてきたように思いますが、その都度考えることは様々です。
医師になってしばらく経っても色々考えるんだから、きっとこれからも看取りのたびにいろんなことを考えたり悩んだりし続けるんだと思います。

その方の旅立ちを介して、その都度考え学ばせていただく。
悩んだり迷ったりすることも、関わらなければ感じることのできない貴重な経験です。その経験もまた糧として、常に学ばせて頂くことを意識する。
医師として、「あなた」の死を看取る者として、この姿勢を続けていく他はないのかなと思う今日この頃でした。

きっとこの喉のモヤモヤは、これをきっかけにまた学びなさいよというメッセージなんでしょう。そう思うと、少しだけモヤモヤを抱えながら進んでいけそうな気がします。
看取らせて頂いて、ありがとうございました。