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山形県で総合診療医を目指しています。日々の振り返りをご笑覧ください。

総合診療医のアイデンティティとは?

アイデンティティについて思案してます。

前回の記事にだいぶ反響頂いたし、みんな悩んでるのは一緒なのかなと思いました。

とりあえず「医師 アイデンティティ」でぐぐってみたら、第五人格というゲーム関連の記事がヒットしまくりました。

なかなか先達の意見にヒットできない。

なので、これまた私見を書き殴っていきます。

アイデンティティとは自己同一性。

自分とは何なのか、「我思うゆえに我あり」の世界です。

医師のアイデンティティは何か定義するなら、「医師としての自分とは〇〇である」と肯定できることでしょうか。

この〇〇に皆さんは何を入れますか?

人によって様々ですよね。

年収一億稼げること。

地域で唯一の腎臓専門医。

他者貢献できる生きがい。

会社を支える産業医

なんとなくですが、ここに「専門性」や「スキル」「業績」を当てはめる人が多いような気がします。

内視鏡ができることだったり、××専門医を持っていたり、海外ジャーナルに多数acceptされていたり。

それを否定する気はないです。立派なことだと思います。

これはミクロ方向に医学が発展する中でより専門性が極まってきているからこそ、他者と区別するポイントがどのミクロ方向を極めた技術者なのかというところになってきた経緯によるのではないでしょうか。

一方で、その仮定は1つの問いを生みます。

即ち"専門性、スキル、業績がなければ医者ではないのか?"ということです。

ここに自分はノーと言いたい。

総合診療とはマクロに多様性と向かい合う専門医です。専門を極めるというのはより広範囲・より拡散する方向に高まっていくことを指すと思います。

これも立派な専門性なので、総合医療がわかる・実践できる領域に入れば十分アイデンティティ足りてるでしょう。

しかし、これがなかなか獲得できた感触が得にくい。

マクロ方向のようにシンプルにできた/できない、と判断できない世界です。

そのためいくら外来をやっていても「まだまだだー」と思うことしばしば。

総合診療ができること、をアイデンティティとして確立するようになるには何年かかるのかわかりません。

スキルを獲得する道は早く分かりやすく実感を得易いです。(ESDができない→できた!→成長!)

同期で臓器別専門医になった人たちはドンドンできるようになっていく。

一方自分は何ができるようになったかわからない。総合診療医としての実感が得られないまま日々が過ぎ、そんな自分は何なのかわからなくなる。

ここでアイデンティティを見失うのではないでしょうか。

ここまでの仮定を元に、総合診療医がアイデンティティを早期に確立するための案を考えてみます。

①スキルや業績を「見える形」で獲得させる

例えば整形内科のエコー、筋膜リリース

論文やポートフォリオを発表する

関連資格の取得(ACLS、ICLSなどなど)

これは医者としてのアイデンティティに繋がる可能性はあるが、総合診療医としてのアイデンティティとずれる可能性がある

②自分の言葉で自己を語らせる

迷いも含めて言葉にすることで、自分の通った道を再認識させる=積み重ねた時間が内的アイデンティティ形成を支援する

指導医との対話でも、学生への発表でもいい。

③症例の振り返りから自己肯定感を高める

いわゆる自己省察というやつです。

アイデンティティアイデンティティクライシスについての総説を読む

知識として理解すると安心できる、かもしれない。

ここに当たる部分が、ヒットし易い形であるといいのかなと思いました。

そんなこんなでブログにしたためているというわけです。

⑤医師としてのアイデンティティよりも、確固とした別のアイデンティティを持つ

結婚してから夫としての自分が確立して、より余裕を持って生きられるようになりました。

医師以外に確固たるアイデンティティがないからこそ、医師としての何かを求めすぎる。

であれば、それ以外に自己肯定たりうる何かがあれば医師のアイデンティティについて余裕を持って取り組めるのではないでしょうか。

それは家族だったり友人関係だったり趣味だったり。

人生が豊かであればあるほど、自分を肯定できるポイントも広がることをこの歳になって実感しています。

自分の実体験からつらつらと書いてみました。

ってことは、とりあえずn=1として自分の経験も書いてみるとまた何か気づくかもしれません。

今日の記事ではここまでにしておきます。

また、これを裏付ける・反論する理論について大募集でございます。