夏が終わる気配を見せず、残暑に悩まされながら毎日過ごしています。
やっぱり寒い方がいいです。
さて、今日は自分もしばらく悩まされていたアイデンティティクライシスについて言葉にしてみようと思います。
コトバンクから定義を引っ張ってみます。
自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。
総合診療医は特にここで悩む人が多い気がするのは自分だけでしょうか。
何を隠そう、5年目くらいまでの自分は間違いなくアイデンティティクライシスにぶち当たっていたからです。今でこそ「懐かしいな〜」なんて振り返れますが、当時は悶々と足掻いていました。
そもそも何故アイデンティティクライシスに陥るのか。
それは、総合診療医に対する他者の理解が少なかったこと・自分の中で納得できる言葉を編めなかったことが原因と思っています。
アイデンティティってどうやって構築されるんでしょうね。私見を書いてみます。
一つは内省的に練り上げていく。自分とはこれだ!こういうのが自分らしさだ!と発信していくことで、積み上げた自分がアイデンティティになります。
もう一つは外部からの力で型作られる。あなたってこうよね・こういうことができるよね、という言葉から「へー自分って〇〇なんだ」と積み上げていく。
総合診療医が少ない地域では、この外部からの力が少ないんですよね。逆風は多いのに、支援してくれる人が少ない。その逆風から方向転換する人もいます。
さらに、内省的に練り上げるのも1人では大変です。自分だけで言語化していくのって根気とエネルギーを相当投資する必要があります。
医師になった瞬間にアイデンティティが形成されるわけではありません。
むしろ医師免許を取ってからこそ、自分の理想とする生き方を探す旅が始まります。
分かりやすい生き方=消化器内科として内視鏡を極める!とか整形外科として膝の専門になる!とかなら、言語化も楽だし周囲のサポートも整っている場合が多いと思われます。
総合診療医はまだまだその生き方が定まりきっていない領域です。多様性が本分である手前、なかなかスパッと説明しきれないこともしばしばあります。この曖昧さに悩み、自分とは何かわからなくなってくる。
これが自分の身に起きたアイデンティティクライシスの一幕かなと思いながら書き起こしてみました。
ではどう乗り越えたのか。
その時その時を精一杯頑張ること、自分の本当に大事な軸はブレさせないこと。
そして、なぜその方向に歩き出したか言語化し続けること。
そういった積み重ねが太めの背骨になってくれている気がします。
迷いながらも自分なりに精一杯頑張ることで、ある意味経験値からの内省ができるようになります。
その中で「なぜ自分がこの方向に生きようと思ったのか」を何回か話す機会に恵まれました。誰かに話すためにウンウン唸って産まれた言葉は、間違いなく自分の軸を表現してくれています。その言葉達がある意味外から自分を支えてくれている。内省と、そこから生まれた過去の自分を積み重ねていたら、気づいたらアイデンティティになっていた感じです。
決して他の人に真似させようとは思いませんが、アイデンティティに迷う時ほどまずは現状に全力で当たってみることが大事なのかなと思いました。
少し婉曲な言葉が多かったので、また整理してお伝えできるようにしたいものです。