新年度が始まりました。なんだか4月に入った途端、いろんなタスクが降り注いできてバタバタと毎日過ごしています。
新年度の変化として”社会人大学院”になりました。
(ちなみにバタバタの30%くらいはこの大学院の手続きによるものだったりする)
未来の自分に向けて、何でこの時期に大学院に行こうと思ったんだっけ?という記事を記載しておきたいと思います。
1、そもそものきっかけ
2019年度にFaculty Development(FD)を1年かけて勉強しました。
Facultyって日本語では”大学教員”と訳される通り、広義のFDにはアカデミックな内容(研究・学術的なキャリアなど)も含まれています。自分の受けたFDコースは医学教育とビジネスに特化していたのでこの部分はそこまで触れる機会がありませんでした。
しかし、今までの医者人生の中で全く研究に興味のなかった自分が「Facultyにとって研究ってやっぱ必要なんだなぁ」と自覚するきっかけになったのでした。
開業医は別として、勤務医は医師ですがサラリーマンです。当然中間管理職のお仕事があるし、後輩の育成だったり組織拡大のための仕事もあります。しかし、教育・ビジネスの勉強は医師にとって必要な勉強かと言われると全員がうなづくかはわかりません。「そんなことよりも患者さんを救うために自己研鑽が大事でしょ!」という声も聞こえそうです。
自分一人で癒せる患者さんの数はたかが知れています。けど、教育やビジネスの力で後輩教育・組織改革ができれば、もっと大人数で多くの患者さんを癒すことができるんじゃないか。FDの教科書にこんな一文が書いてあり、感心したことを思い出しました。
山形の総合診療を広げていきたい自分にとっては、教育・ビジネスを学ぶことがどう拡大していくか・どう総合診療を知ってもらうかに直結します。
そして、研究もまた総合診療をアカデミックに学び直す・興味のない誰かに関心を持ってもらうためのツールになるのではないか?
こんなことをぼんやり思っていたのが2019年のことでした。
2、コロナ流行
そして2020年、個人的には忘れることのできない1年が幕を開けました。
開幕早々コロナ対応が始まり、それに伴った業務や村内への啓蒙活動など1年中コロナコロナと言い続けていたような気がします(今もだけど)。
そういった中で起きたのがインフォデミックです。未知と戦うために数多くの情報が出されましたが、処理しきれない情報は混乱や不安を招きます。情報を正しく整理する能力・適切な方法で届ける能力がどれだけ重要か、コロナ禍に巻き込まれながら実感・実践したのがこの年の出来事でした。
この年の実践した内容を活動報告として雑誌掲載を受けたことも忘れられない出来事です。
自分の頑張ったことを文献の形で残すことができたという成功体験、インフォデミックの中で情報とどう付き合うか考えさせられた経験から、「やはり研究について一度勉強する機会を作りたい」と思うようになりました。
3、大学院との縁
こういった思いの中から、大学院の受験を本格的に考えるようになりました。
総合診療医として受け入れてくれる大学院があるのか?
コロナ禍で移動制限のある中で、どこまで通学できるのか?
この2つを解決してくれたのが、現在進学することになった地元大学の講座でした。
臓器別の医学講座ではないからこそ総合診療の広さと親和性がある・プライマリケアだったり中小病院のデータ解析から理解もある・何よりもスタッフと顔見知りの関係があるということで、ここ一択で受験することに決めました。
9年ぶりの受験は緊張しましたが、晴れて合格しこの4月から大学院生となったというわけです。
4、未来の自分へ
研究を志したのは、
・Facultyとしてアカデミックキャリアを積んでみようと思った
・インフォデミックの中で研究の重要性に気づいた
という思いからです。
初心忘れるべからず、まずは博士取得のために頑張ってください。