医師は沢山の死と遭遇する職業です。その死は様々です。頑張っても救命できなかった死、本来なら無事に生まれるはずだった死、まさかの事態で急変してしまった死、寿命を全うした死。
私は医師6年目になりますが、この間にも沢山の人を看取りました。
その都度、もっと言えば医学生になった時から抱えている疑問があります。
「人が亡くなることに慣れることは正しいのか」
私が初めて死亡診断書を書いたのはNICUに入った生後数週間の子供でした。
モニターで動く波形が少しずつ弱くなっていくのを見ながら、まるでドラマみたいだ、と放心していました。両親が抱きかかえる中で、その子は短い命を閉じました。
私は、泣けませんでした。
言い方を変えれば、あまりに非現実な目の前の出来事に心がついていかなかったのだと思います。それでも、泣けない自分がいることに気づいたあの衝撃は今でも忘れられません。
医師は命を扱うプロフェッショナル。
プロである以上、次の患者に影響してはいけない。以前、大学の教授から言われた言葉です。
泣けない自分は正しかったのか。
それがプロになるということなのか。
5年、医者をやりました。この間にも沢山の出会いと別れがありました。
この間に総合診療をやると決めて、目の前の人をできるだけ幸せにすることを自分の専門にすると決めました。
それは、医師患者というドライな関係で終わらせるのではなく、人と人の関係へ踏み込むことだと考えています。
そんな私だからこそ、ウェットな医師でありたい。
患者さんそれぞれの人生に関わった者として、人生の幕引きに感情を揺り動かされる人でありたい。そう思っています。
皆さんはどうお考えでしょうか。
おそらく正解のない問題です。色んな答えを是非聞いてみたいところです。