今年の挑戦として「論文を投稿する」ことにチャレンジしています。
諸先生方の助けを借りながらケースレポート・活動報告をひーこらやっているのですが、なかなかacceptの文字が得られません。
論文通るための本とかブログとか沢山あるので、ここでは「なにが大変なのか」というのとについて書いておこうと思います。
とりあえずおさらいとして、自分の置かれている環境を書いておきます。
・山形県の田舎にある無床診療所に勤務
・医者8年目、学会発表はあるが論文書いたことはない
・当直はないが子育て中
・山形県の総合診療医(緩和も修行中)として、ほぼ獣道を歩いている状態=近場に相談できる相手がいない
そんな自分が論文を書くにあたり困ったことを書き連ねていきます。
◯症例の吟味ができない
ケースレポートは報告すべき症例があった上で始まります。
指導力のある上司がいる環境であれば、「このケースはどうか」「こんな切り口ならいけるか」なんて論議できると思います。
自分にはこれがない。
そのため「これっていけんのか…?」と思ったら自分で調べるしかありません。
ハンドサーチには限界があります。珍しいのか?と思っても自分の知識不足だったならまだしも、検索不足ですよ!なんて結果の時もありました。
独りはこういう時につらいです。
◯知識不足の露呈
論文投稿には様々な知識が求められます。また投稿するにあたり、世間の知見を一歩でも踏み出すような魅力も必要です。
今までの自分の勉強では、この「一歩踏み出すような魅力」に気づけるほど深く学んでいないことを痛感しました。
病態として齟齬はないのか、世間一般でどう捉えられており何が異質なのか。ケースレポートは特にミクロレベルの問題を捉えることが多く、「マクロ方向への勉強が総合診療科でしょー」と蔑ろにしてきた自分には毎回ゼロから調べる時間を必要としています。
臓器別専門医であれば、自分の専門分野のミクロレベルの知識がある程度あるので楽なんだろうなぁ…とひーこら勉強する中で思いました。
◯どこに出していいかわからない
論文はテキトーにしか読んでない自分にとってケースレポートを受けてくれる場所はまずどこなのか、から始まりました。
BMCはお金かかるし、あの雑誌は方向性が合わないだろうし、などなどこれも指し示してくれるメンターがいないことで暗中模索し続けました。
もしあなたが恵まれた環境=指導教官がいる・論文を書く時間が取れるのであれば、果敢にチャレンジすることをお勧めします。
そしてこれから「reject」をもらうあなたに伝えたい。
自分が論文書き始めてから繰り返し念じているのが、
「チャレンジしなければ失敗もできない」
ということです。
いいじゃない、失敗しても。
悔しいだろうし、「おめーのやってることはウチに載せる価値なし!」みたいに感じることもあるだろう!
でも、あなたの寿命が減るわけでもないし家族に嫌われるわけでもない。給料も下がらないし、名声が地に落ちるわけでもない。
むしろ挑戦した結果、様々な勉強した成果が得られるはずです。
まだacceptしてない自分でも、たくさんのことを学びました。
何よりも「めげないハート」を手に入れたのは大きいと思います。
(悔しいけど)
挑戦して失敗しましょう。
いつかacceptをもらって、人類の医学に少しでも貢献できる日が来ます。
その日までめげずに取り組み続けましょう。