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山形県で総合診療医を目指しています。日々の振り返りをご笑覧ください。

叔父の話を聞いて欲しい

先日、叔父が亡くなった。少しだけ彼について話を聞いて欲しい。

  ◇  ◇  ◇

僕の母には弟がいて、きちっとした母の家族の中で唯一きちっとできなかった人だった。それが祖父母の影響なのか彼の性質によるのかはわからないけど、見た目はボサボサだしタバコ臭いし子供から見てもだらしのない人だった。
ひょろりとした上背を猫背にしながら歩く後ろ姿は今でも記憶に残っている。

叔父は定職につかないまま東京のアパートで一人暮らしをしていた。
先日、その叔父がどうやら孤独死していたらしい、という知らせが飛び込んできた。2ヶ月前から姿を見せなくなり、話を聞いた叔母が様子を見に行ったところ自室で亡くなっていたそうだ。
何が起こったのか知る術もないし、これからバタバタと身辺整理が進んでいくのだろう。老いた祖父母に手続きが降ってくるのを心配をする脳裏に、叔父との思い出が浮かび上がってきた。
叔父と我が家はそこまで交流があったわけではないので、思い出といっても二つ程度なんだけど。

  ◇  ◇  ◇

一つは小学校の頃だったと思う。
古い祖父母宅の2階に叔父は暮らしていた。踏み外しそうな急な階段を登って左側に叔父の部屋があり、その部屋は叔父の趣味に溢れていたように思う。
叔父はぶっきらぼうな人だったが、僕が遊びに行くと叔父なりに甥を可愛がってくれた。今思うとアマチュア無線だったと思うがなんだか難しそうな機械を見せてくれたり、ホバークラフトのラジコンで遊ばせてくれたりした。
タバコのヤニで汚れた歯を見せながら笑う叔父は、甥の僕に取って決して悪い人ではなかったと今でも思っている。

しばらくして叔父は東京に移り住み、叔父の部屋は空き部屋になった。家主が不在の叔父の部屋に勝手に入り込んだことがあったが、物の溢れていた室内がずいぶんすっきりしていて驚いた。
ふと見ると、立て付けの棚にはホバークラフトのラジコンが箱に入ったまま安置されていた。ラジコンは東京での新生活に不要と判断されたのだろう。勝手に出して遊んでもよかったんだろうけど、なんだか叔父に悪いような気がしてそれ以降一度も触ることはなかった。
そういえば数年前に家を建て替えた時、祖母はあのラジコンを廃棄したのだろうか。学校を卒業してもずっとあの部屋で過ごしていた叔父の痕跡を、祖母はどんな気持ちで片付けたのだろうか。

  ◇  ◇  ◇

もう一つは大学の頃。東日本大震災の後のことだ。
祖父母の家には土壁でできた古い蔵があり、大震災の影響でその土壁が崩れてしまったそうだ。高齢の祖父母に力仕事は大変ということで、力は有り余っている孫がお手伝いに駆り出されたというわけだ。
その祖父母宅に叔父がいた。小学校以来だったから10年以上ぶりだったろうか。無精髭でますますタバコの匂いはキツくなっていたが、ひょろりとした上背を丸めて歩く様子は相変わらずだった。話を聞くと、大震災でひと段落したあたりにふらっと帰ってきて何も言わずに祖父母宅の片付けを手伝っていたそうだ。
なんとなく懐かしくなって、久しぶりに2階の叔父の部屋を覗きにいった。
「おう、久しぶりだな。ずいぶんデカくなったな」
叔父はノートパソコンを眺めながらタバコを吹かしているところだった。
「そりゃ小学校以来だしね。おじさんは何見てたの?」
「見るか。放射線の今の状態を確認できるホームページなんだ」
「へえ、放射線
原発事故の影響が出るのかどうか、当時は至る所で放射線の線量測定が行われていた。叔父はどうやらその測定結果を逐一確認していたようだった。
「お前みたいに未来のあるやつが福島にいちゃいけない。片付けが済んだら早く帰れよ。これから子供バンバン作らないといけないんだから」
「なんだよ、それー」
その時、僕は叔父が冗談を言ったのかと思った。子供だなんて気恥ずかしいなぁと照れながら叔父の顔を見ると、真剣な顔で画面を見つめていた。長い指で顎を擦りながら本気で僕のことを心配している様子だった。
「こういうのはさ、俺みたいなのに任せとけばいいんだよ」
その言葉がどんな意味を持っていたのか、深くは聞くことができなかった。

人手がいれば片付けはあっという間に終わるわけで、僕は結局一泊二日で実家に帰ることになった。片付けが終わったら叔父は部屋に引きこもってしまい、結局挨拶をせずに祖父母宅を後にした。
それ以降、叔父とは会えていない。そして、もう会うこともなくなってしまった。

  ◇  ◇  ◇

僕から見える叔父の姿と、祖父母から見えている叔父の姿は多分違うように思う。
祖父母の家は先祖代々続く名門の家で、叔父はその後継として期待されていたそうだ。
そして、叔父はその期待には答えられなかった。叔父は社会と一線を引いて部屋に篭り、東京に篭り、そして独りで旅立っていった。祖父母からすれば子育ての失敗のレッテルを貼ってもおかしくはないだろう。

僕にとって、叔父は悪い人ではなかった。めっぽう好きなわけでもないけど、不器用に甥のことを構ってくれたり心配してくれていた叔父のことを嫌いになる理由はない。
自分から会おうと思ったこともないし、叔父から連絡を取ってくるようなこともなかった。僕と叔父の関係はそんなものだ。叔父が亡くなったからといって悲嘆で泣き咽ぶようなことはないと思う。

それでも叔父は、悪い人ではなかった。
独りで死んでいく時、叔父は何を思ったのだろうか。思い残したことはないのだろうか。
小さな思い出を元に叔父のことを悼んであげたいと思うくらいには、僕は叔父が好きだったということに今更になって気づいたのだった。

  ◇  ◇  ◇

僕は祖父母の血の影響か、比較的上背がある。そして、猫背だ。
叔父の足は平べったくて大きかったらしい。それは僕の足も一緒だ。
そして、この足の特徴は僕の娘にも引き継がれている。きっと将来、この子は靴を探すのに苦労するに違いない。

放射線で子供のことを心配していた叔父に、子供が無事できたことを伝えてやればよかったかな。
足が大きいのは遺伝だね、なんて話したらどんな顔をしただろうか。
独りで亡くなった叔父のことを少しだけ甥が心配していたということが、どこかで伝わればいいなと思う。

僕には叔父がいた。甥にとって悪い人じゃなかった。
そんな人がこの世界にいたということを、ここに記録しておきたい。