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山形県で総合診療医を目指しています。日々の振り返りをご笑覧ください。

人文知を学んでいてよかったという話

毎年毎年「怒涛!」と言いながら過ごしておりますが、この新年度は輪をかけて怒涛な日々を過ごした気がします。

 

4月から5人体制になり、専攻医が赴任し、学生実習も来るようになりました。
そんな日々の中で自分の役割はプレイヤーとしての割合を減らし、マネージャー・教育者として変わりました。これは元々願ってもないことだったし、いつかそうなりたいとは思っていたけれど! 今まで学んできた座学を実践するのってやっぱり大変だなぁと思うわけです。

 

そんな中で考えるのは「人文知の貯金をしておいてよかったな」ということです。
この3−4年くらい、Podcastや本・電子書籍などで医学以外の勉強を積み重ねてきました。医学教育やビジネススキル、それに関係して哲学書や新書なども色々読み漁っていました。
これはいつか役に立つだろうし何より自分の関心がその方面に向いていたから好きで勉強していた感じだったんですが、複数名体制の勤務になってこの人文知が生きてきているような気がします。

 

人文知の貯金で得られたのは何か?
まずは「自分以外の目線を慮れるようになった」こと。
メタ認知ができている、というとそんな領域にまだ至っていませんが、世の中は多様でいろんな考え方に溢れていることを知るだけでも、自分の感情をコントロールするのに役立っていると感じます。
だって他人は他人だから。怒っても怒っても自分の言う通りになってなるわけがないんです。不条理だと思っていたこの世の中は、自分のわがままが通じるような場所でなかっただけでした。だからこそ、他人が何を考えているか・今のフィールドは何を求められているのか客観的に考えて、そこに少しだけ自分の思いを乗せて振る舞う。そんな身の振り方ができるようになったのは他人の目線を思い描けるようになったからかと思います。

 

あとは「いい意味で思考を手放せるようになった」こと。
感情に囚われて自分がしんどい思いをする経験が多かったですが、ここ数年は「まぁそんなこと考えたって何にも変わらないしなぁ」と達観するようになりました。これはただ諦めたわけではなく、幸せとは何か? 自分とは何か? といった根本的な問いに向き合うことがあったからかと思っています。

 

こんな思考回路になっていったのは、医学だけでは得られないと思っています。明らかに人文知の影響だと思っているのですが……果たして皆さんはどう思うでしょうか。
自分は好きだったので勝手に学んでいましたが、メタ認知の視点を手に入れる!と意気込んで学ぶのはなんか疲れるような気がします。

息継ぎができる速度でいろんな知識を学び続ける、くらいのテンションで人文知を学んでみるのもアリかもしれませんよ。

大学院報告:学位ゲットだぜ

卒業式は業務で出られませんでしたが、無事学位記が届きました。
これで正式に博士を名乗れます。
 
博士課程に行こうと思ったのは、忘れもしないHANDS-FDFです。受講したなかで博士課程を考えるきっかけが2つありました。
1つは「Faculty Development」のFacultyが大学教員を指し、研究を円滑に進められる能力がFDに含まれているということ。てっきり教育とビジネススキルのことを指していると思っていたので、「やはり研究の指導ができないといけないのか…」と改めて向き合うことになりました。
もう1つは、フェロー同期のダテさんとの会話でした。市中病院で勤務している総合診療医である彼が「来年大学院受けようと思うんよ」と話してくれた時、目から鱗が落ちました。「そうかー医局に入らなくても大学院に行っていいんだ」と気づいた時、初めて人生の選択肢に上がってきた気がします。
そんなきっかけの直後にコロナがあり大蔵村でなんやかんやあり、ふっと一息ついたところで「最後の大挑戦に挑むなら今なんじゃないか?」と思いたったのでした。
 
大学院の3年間はいろんなことに気付かされました。
自分がペタゴジー的な態度で挑もうとしていたこと、結局これからの学びはひたっすら試行錯誤を繰り返し続けるしかないこと、思った以上に論理的な文章を書くというのは難しいことなどなど。
そういった様々な気づきを経て、”研究”の一歩目を踏み出すことができたこと。これだけで大学院に進学した価値はあったと思います。
大学院を経て、思ったよりも研究活動を経て見えない何かが見えるようになることは面白く、研究活動は長いスパンで挑戦し続けたい領域の1つになってくれました。これからはプレーヤー、マネージャー、教育者に加えて細々ながら”研究者”という4軸目を形成していこうと思っております。
 
可能であれば、自分が実践し挑戦している「総合診療」「地域医療」というまだまだ得体の知れない領域を、データ研究から少し見えるようにしてみたい。山形という田舎だからこそ、日本の未来が見える……そんな研究をやってみたいなんて夢を淡く持ち始めています。
どうなるかわかりませんが、「地域医療の研究者」になってみたいと思った初春でした。

読書ログ: ウイルス学者さん、うちの国ヤバいので来てください

東京大学 古瀬先生のエッセイ。たまたま彷徨いた図書館で目があってしまったので借りてみたところ、色々味わいどころがある内容だった。
 
・COVID19の捉え方
世の中には数多くの感染症がある。これは自分も知識レベルで知っていた。
しかし、実際にエボラ・ラッサ熱など多くの感染症対策に従事した古瀬先生の記載を読むとCOVID-19は突然降ってきた危機ではあるが、人間が繰り返し対峙している感染症危機の1つに過ぎないという印象を持つようになった。
じゃあ自分は2020−2022年に奮闘していたのはなんだったのか。
おそらく感染症危機は「身に降りかかってくる事態」では無かったから、全く予想外でどう動けばいいかわからなかったから大いにテンパったのだと思う。
そうなると古瀬先生のように場慣れしている人の方がテンパらないし動けるのも納得である。
彼ほどの経験を国内で積むことは難しく、そうなると国内の医療職は次のパンデミックの時にCOVID-19の経験のみで奮闘しなければいけないのだろう。それしかないから仕方ないにしても、もっと上手に危機を乗り越えるための訓練・思考実験がまだまだ必要そうだと感じた。
 
・ほぼ同年代というのにびっくり
「大学時代はバイトにバンドに〜〜〜」なんてくだりがあるが、同じような大学生活を送っていたにもかかわらず、その後半戦の違いにびっくり。
古瀬先生がフィリピンに行って研究活動をやったり学生中にPhDをとったりしている間、自分はますます部活に明け暮れていた。
その背景には所属大学の気風とか制度の違いがある気がして、入った大学でやはり成長や進路の方向は変わるのかもしれないと感じた。自分が母校以外のところに入っていたら、果たして地域医療をやっていただろうか・・・。
 
同世代の活躍、そして若い世代の活躍を見聞きする機会が増えてきた。それをジェラシーなく受け止められるようになったのか、牙が抜けて腑抜けたのかそれとも丸くなったのか。
自分らしく丸く尖り続ける努力はしていきたいなと思った朝でした。